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2007年08月23日 (木) | edit |
中国とお付き合いを始めてすでに24年。
そもそも中学2年のときに友人が貸してくれた
三国志と水滸伝がその始まりでした。

実際に中国に行くようになってからは17年の付き合い。
毎回中国に行くたびに「疲れた~」とぐったりするのだけれど
不思議とまた行きたくなってしまうのは
17年前のあのことがあったからかもしれない。

17年前の夏、私は大学の友人たちと北京へ語学短期留学をしました。
それは私が大学3年生だった頃のお話。
当時の北京はまだまだ昔の中国が色濃く残っていて、
夜、寮のベッドで寝ていると街角で誰かが
スローガンをがなりたてているのが聞こえてきました。
もちろん今ほど便利ではなくて、食料品を買うには食糧切符が必要でした(外国人は不要)。
街中にコンビニは皆無、外国製品もほとんどなく、
現地調達したノートはボールペンの先が引っかかって破れるほど
粗悪な紙を使っていました。
パンを買えば焼きたてはふわふわなのにすぐにカチカチになる、
ビスケットの袋を開けると、あっという間にしけってふにゃふにゃになりました。
コーヒーを出す店もほとんどないし、何しろネスカフェ1瓶がものすごく高かった。
そんな不便な生活にもようやく慣れて、それが楽しくなってきた頃、
いよいよ帰国の日が近づいてきました。

その日私は一人で街をぶらぶら歩いていました。
ある交差点にさしかかったとき、
小さなおばあさんが私のそばに寄ってきました。
見れば体も足も小さなおばあさん。
「私は怖くて一人で交差点を渡れないのよ。一緒に渡ってくれる?」
と、そのおばあさんは言って、私の腕にすがりつきました。
おばあさん、私は日本人ですよ。
小日本人、日本鬼子(皆さんはこの言葉、知ってますか?)ですよ。
思わず心の中でそう思いました。
日中関係の微妙な部分をすでに知っていた私は、
「おばあさん、あなたの命を私に預けてしまっていいのですか?」
と真剣に悩んでしまいました。
それでも一緒にゆっくりと交差点を渡りきると、
おばあさんは「謝謝! 謝謝!」と繰り返しお礼を言って
私から遠ざかっていきました。

そのときふと思いました。
おばあさんには私が日本人には見えなかったのかもしれない。
あるいは私が日本人でありながら北京の風景に溶け込んでいたのかもしれない、と。
いずれにせよそれは私が中国の一部となり、
中国もまた私の一部になった瞬間だったのだと思います。

あれから17年。
中国は驚くべき速さで変わっています。
もはやあのときの姿をどこにも留めていないほどに。
でも、やはりどこかにあのときの中国の姿が残っている気がします。
会話の中に、あるいは人々の行動の中に。
それを見たくて、確認したくて何度も何度も中国を訪れる私がいるのかもしれません。
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